2019年11月30日
「幸福な星」という暗喩
ブログ

燈火親しむ秋。今回、オススメする本は
『幸福な星 』 仲野芳恵 (日本経済新聞社 )
この作品の舞台は、7歳になると検査を受け、脳にチップを埋め込む手術を受けることが国民に義務化されているディストピア。
国民の大半はこの手術を受け「非ナチュラル」と呼ばれ、手術を受けられなかった少数者は「ナチュラル」と呼ばれ差別を受ける。差別は、両者の間に格差、分断を生み、通常両者が交流する機会はほとんどない。
主人公キカは、自らの心象風景夕闇の色に倣った藍色の服しか着用しない「ナチュラル」の女性。
家族の中で唯一の「ナチュラル」である彼女は、家族と離れルームメイトのメイと暮らし、葬儀でピアノを弾いて生計を立てている。
メイは両親共に「ナチュラル」という生粋の「ナチュラル」で、幼少期より娼婦として生きている。その後ろめたさからキカとの間に埋めることのできない大きな溝を感じている。
仕事先で知り合った恋人キトは「非ナチュラル」で、「ナチュラル」として強く生きた亡き姉を追慕するあまり、「非ナチュラル」である自分を恥じ、自責の念を抱いて生きている。
物語は、主人公と現地調査に訪れた文化人類学者キャスリンの対話を軸に、三者三様に抱く痛み、寂寥、諦観、絶望、孤独が描かれていく。
そして最後に明かされるキカとメイの悲しい別れ。
キカ「いずれ死ぬのだから。誰もが通り過ぎていく。この世界を通過して、ただどこかに消えていく。私の順番も来る。確かなことはそれだけ」
キャスリン「でもあなたは自分自身を殺さない。なぜ殺さないのか」
キカ「たぶん私は、愛を知りたいのです。愛という経験をした実感のないまま死ぬの悲しいことです」
心象風景に倣った夕闇の色の空のような藍色の服を身に纏い、自分を守る。まるで自分自身を罰するように、人に心を許さない。そんな臆病なキカが初めて自分を解放し、発した言葉。キカの心象風景の藍色が夕闇の色から夜明けの色へと変わる一瞬が鮮やかに描かれる。
ディストピア小説の体裁を取りながら、「幸福の星」という実に暗喩的なタイトルを付けたところに、作者の企みがある。
幸福とは、愛とは、生きる意味とは…ディストピア小説の枠に収まらない根源的な問いを投げかける哲学的で切ない物語。
日本人ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの名作『わたしを離さないで』との併読をおすすめする。
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