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2022年02月25日

他者の発見

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こんにちは、兵庫県伊丹市の西田鍼灸療院です。伊丹市内を中心に尼崎市・豊中市を始めとする阪神・北摂地区の患者様のお身体の悩みを「根本改善」に導く「根本治療」の鍼灸を提供しております。

 

日々の多くの患者様との出会いの中で、施術という利他的な精神や行動、つまり、「困っている人のために」「苦しむ人のために」という思いが空回りし、結果として本人(患者様)のためになっていないのではないのか?

利他のための施術が利他的ではないのか?

そんな敵意のような警戒心を抱くことがある。

でも、だからこそ「利他」のことを正面から考えたい。

 

利他的な行動には、本質的にこれをしてあげたら相手にとって利になるだろうという、私の思いが含まれている。

重要なのは、それが私の思いでしかないこと。

思いは思い込み。

そう願うことは自由だが、相手が実際に同じように思っているかどうかはわからない。

「これをしてあげたら相手とって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手が喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になる時、利他の心は容易に相手を支配することにつながってしまう。

自分自身を他者を助け、問題を解決する救済者とみなすと、気付かぬうちに権力志向、自惚れ、自己陶酔へと傾きかねない。

このように、「思い」が「支配」になりやすいことを、利他的な行動をとる時には、特に気を付ける必要がある。

 

つまり、利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということではないかと思う。やったみて、相手が実際にどう思うはわからない。わからないけど、それでも、とにかくやってみる。

この不確実性を意識しない利他は、押し付けであり、酷い場合には暴力にもなる。

 

それを回避するためにできることは、相手の言葉や反応に対して、真摯に耳を傾け、「聞く」こと以外にない。

「聞く」とは、この相手の秘めた不確実性から可能性を引き出す行為に他ならない

知ったつもりにならないこと。

自分との違いを意識すること。

その意味で利他とは、私たちが思うよりももっと、ずっと受け身なことなのかもしれない。

 

「思いついたのとは違った」ではなく、「そんな感じ方もあるのか」とむしろ、こちらの評価軸がずれるような経験を楽しみたい。

 

他者の潜在的な可能性に耳を傾けるという意味で利他の本質は、他者をケアすることすることなのではないか、と当院は考えている。

 

ただし、この場合にケアとは、必ずしも「介助」や「介護」のような特殊な行為である必要はない。むしろ、「こちらには見えてない部分がこの人にはあるのだ」という距離と敬意を持って他者を気遣うこと、という意味でのケアである。

 

ケアが他者への気遣いである限り、そこには必ず意外性がある。

自分の計画通りに進める利他は押し付けに傾きがちだが、ケアとしての利他は、大小さまざまな良き計画外の出来事へと開かれている。

この意味で良き利他には、必ずこの「他者の発見」がある。

 

さらに考えを進めてみるならば、良き利他には必ず「自分が変わること」が含まれている、ということになるだろう。相手と関わる前と後で自分が全く変わっていなければ、その利他は一方的である可能性が高い。

 

「他者の発見」は「自己変革」の裏返しに他ならない!

 

他者の潜在的な可能性に耳を傾け、そして想定外の反応に出会った時の「他者を発見した」という感触を得るためには、相手のために何かしているときであっても自分が立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っているが大事で、それは同時に、自分が変わる可能性として余白でもあるだろう。

 

ここまで「利他」という題材について考察するうちに、利他とは「聞くこと」を通して相手の隠れた可能性を引き出すことであると同時に、自分が変わることである、ということ。そのためには、こちらの善意を押し付けるのではなく、むしろ想定外受け止める余白を持つ必要性がある、ということが見えてきた。

 

私たちは、利他という他者の発見を通して自己変革の道を探って行かねばならない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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