2021年05月14日
「見えない人」の身体論
ブログ

緊急事態宣言延長に伴うお家時間の増加は、積ん読の消化にもってこいだ。
その中で最も印象に残った本として、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜沙(光文社新書』を取り上げたい。
本書のテーマは、視覚障害者がどんな風に世界を認識しているかを理解することにある。
人が得る情報の八割から九割は視覚に由来すると言われている。
それだけに視覚は、人が生得している感覚の中で特権的な位置を占めている。
しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているとも言える。
その私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いた時、「世界の別の顔」が表出する。
本書は晴眼者である著者が、視覚障害者とその関係者にインタビューを行い、対話を重ねうちに捉えた「世界の別の顔」の姿を分析し、まとめたものである。
本書を通して読者は、障害者という身近にいる「自分と異なる体を持った存在」に想像力で迫り、視覚を使わない体に変身して生きてみることで、自分の「当たり前」を溶解させる。
見えない体に変身するには、目をつぶったり、アイマスクを装着し、視覚情報を遮断すれば事足りると考えるのは早計である。
なぜなら、晴眼者と視覚障害者の違いは四本脚と三本脚の椅子を例に取れば分かりやすい。
元々四本ある椅子から一本取り除いたら、その椅子は傾いた、壊れた、不完全な椅子である。
だが、三本の脚で立っている椅子もある。
脚の配置を変えれば、三本でも立てる。
脚の配置によって生まれる、四本のバランスと三本のバランス。
見えない人は視覚以外の感覚にもとずいて身体の働かせ方を少しずつ変えることで、視覚なしでも立てるバランスを見つけている。
変身するとはそうした視覚抜きのバランスで世界を感じてみることであり、脚が一本ないという「欠如」ではなく、三本が作る「全体」を感じることだと、著者は強調する。
異なるバランスで感じると、同じ世界でも見え方、すなわち「意味」が違ってくる。
著者はそうした「意味」というものを切り口として見えない人と関わり合っていく中で、「当たり前」を溶かすスリリングが「変身」の第一歩であることを明らかにしていく。
障害の「できなさ」「能力の欠如」のいったネガティヴイメージを払拭するために、まずは想像力を働かせてみたい。
障害のアンタッチャブルさをあっさり解除して、純粋に見えない体に変身すること。
四本脚ではない三本脚のバランスを感じてみること。
想像の中だけかもしれないが、見えない体になったつもりで、世界を知覚したり手足を動かしてみることで、「当たり前」を離れたその体から、特別視ではなく、対等な関係ですらなく、お互いが影響し合い、関係が揺れ動く状況が作り上げられた時、障害を触媒として生かすアイデアが生まれるに違いない。
一生、障害と無関係な人はいない。
誰しも加齢と共に、多かれ少なかれ障害を抱えた身体になる。
日本はこれから超高齢化社会を突入する。
社会に高齢者が増えるということは、障害者が増えることでもある。
様々な障害を持った人が、様々な身体を駆使して一つの社会を作り上げていく時代を迎える。
そうなると、人と人が理解し合うために相手の体の有り様を知ることが不可欠になってくる。
これからは、相手がどのような体を持っているのか想像できること必要になってくる。
多様な身体を理解し、そこに生じる問題に寄り添う視点 が求められる。
これは当院のような業にある者は特に、肝に銘じておかねばならないことである!
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