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2020年12月13日

「信頼」が生み出す「共鳴」

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こんにちは、兵庫県伊丹市の西田鍼灸療院です。伊丹市内を中心に尼崎市・豊中市をはじめとする阪神・北摂地区の患者様のお身体の悩みを「根本改善」に導く「根本治療」の鍼灸を提供しております。

 

コロナ禍が未だ終息の気配を見せず、新規感染者が増加の一途をたどっている2021年末、興味深い一冊に出会えた。

それは、『手の倫理』伊藤亜沙(講談社)。

 

触覚に関する日本語には、「さわる」と「ふれる」という二種類の動詞がある。

「さわる」は一方的で物的な関わり、「ふれる」は相互的な人間的な関わりを表す。

私たちは、「さわる」と「ふれる」という二つの触覚に関する動詞を、状況に応じて、無意識に使い分けている。

本書では、これらの語句の使い分けを例示した上で、このように説く。

 

<あらためて気づかされれるのは、私たちがいかに、接触面のほんのわずかな力加減、波打ち、リズム等のうちに、相手の自分に対する「態度」を読み取っているかということです。(中略)接触面には人間関係があります>

 

この接触面の人間関係は、人生の重要な局面で出会うものである。

そこで経験する人間関係、つまり「さわり方/ふれ方」は、その人の幸福感にダイレクトに影響を与える。

私たちは、「さわる/さわられる」や「ふれる/ふれられる」を通して過去も現在も他者と関わり、未来にも続く。

「よき生き方」ならぬ「よきさわり方/ふれ方」とは何なのか。

触覚の最大のポイントは、それが親密さにも暴力にも通じていること。

人が人の体にさわる/ふれるとき、そこにはどのような緊張、信頼、あるいは交渉や譲歩が交わされているのか。

本書では、このことを「倫理」「触覚」「信頼」「コミュニケーション」「共鳴」「不埒な手」の6章に分けて検討していく。

触覚を入り口とする考察はどれも新鮮で、例えば、道徳と倫理の区別や安心と信頼の違いもすんなり腑に落ちた。

中でも、信頼によって接続出来るようになると、<ふれるという行為そのものが、生成的に作りだされる>共鳴関係が成立するという指摘には、大いに首肯した。

 

触覚を担うのは手だけではないが、人間関係という意味で主要な役割を果たすのはやはり手である。

 

本書に描かれた様々な場面における手の働きに注目しながら、そこにある触覚ならではの関わりの形、つまり『手の倫理』を明らかにすることは、当院にとっても患者様に対する「よきさわり方/ふれ方」とは何なのかを追求する上で有用であろう。

 

不道徳だからこそ倫理的である触覚。

その触覚が拓く創造的可能性。

そこに光を当てた『手の倫理』は人と人との接触が忌避されるコロナ禍にあって、私たちに「ふれる」ことの重要性をより深く考えさせる縁(よすが)となるに違いない。

 

それは、「信頼」が生み出す「共鳴」を礎とする人間関係の構築が、臨床を創造的に発展させる可能性を秘めているということ。

 

これからも当院は、『手の倫理』が導き出す創造的可能性に賭けたいと思う。

 

 

 

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