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2020年05月15日

“冴えん師匠”の人材育成力

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こんにちは、兵庫県伊丹市の西田鍼灸療院です。伊丹市内を中心に尼崎市・豊中市をはじめとする阪神・北摂地区の患者様のお身体の悩みを「根本改善」に導く「根本治療」の鍼灸を提供しております。

今回取り上げる本は『一門   “冴えん師匠”がなぜ強い棋士を育てられたのか?』神田憲行(朝日新聞出版)

本書のタイトルにある“冴えん師匠”とは、地元宝塚市在住の将棋の棋士・森信雄七段のこと。

森は既に現役を退き、今は自宅で将棋教室を営みながら多くの弟子の育成に取り組み、棋界最多の15名(他に物故者1名、20年4月現在)のプロ棋士から成る『一門』を率いる名伯楽である。

 

森の現役時代の成績を見ると、棋界最高位A級在位やタイトル獲得などの華々しい、冴えたものはない。

そんな “冴えん師匠”がどのように弟子に向き合い、何が棋界最多の棋士育成をもたらしたのか。

本書は森はもとより、一門の一人一人に取材を重ね、それを明らかにしていく。

森一門は、退路を絶って中卒でプロ棋士になった者から、東大や京大、阪大など名門大学を卒業した者まで多士済々である。

これら個性的なメンバーを束ねる森の人間力に裏付け手腕に感嘆する。

現在プロ棋士になるためには、奨励会と呼ばれるプロ養成機関に入らなければならないが、その際必ず身元保証人ともいうべき「師匠」が必要であり、ここに師弟関係が成立する。

この師弟関係の形は個々様々で、奨励会入会の為の形式便宜的なものも少なくないという。

では森一門はどうか?

本書のまえがきに印象的な場面が描かれる。

2017年1月17日朝、自宅最寄りの阪急宝塚線清荒神駅近くの空き地に一門が集まっている。

実は森には、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で命を落とした弟子がいる。

森は自分の近くに住んでいたから亡くなったのではないかと自分を責め、一時は「もう弟子は取らん」と周囲に漏らすほど憔悴したという。

その後、1月17日になるたびにかつて彼が住んでいたアパート跡地で、こうして一門の弟子たちとともに祈りを捧げている。

これが答えである。

 

森の師匠人生は、天才将棋少年・村山聖との出会いから始まる。

村山の伝説的人生は、松山ケンイチ主演映画『聖の青春』で描かれ、多くの反響を呼んだ。

森は村山少年が13歳の時出会い、29歳の若さで夭折するまで「師弟」の枠を超えた関係であった。

傍目には、「師弟愛」にとどまらない違う趣があったようだ。

弟子の一人は、二人が話をしている光景に「師弟というよりお互いが相棒のような、むしろ森先生が村山先生を慕うような感じすらありました」と感想をもらしている。

森は「村山君と出会って僕が勉強になることが多かった」と言う。

師匠と弟子が互いに影響を与え合い、全く同じ発言をし、周囲を驚かすことも珍しくなかった。

村山聖という弟子を得て喪うことは、森の中に将棋に対する新しい姿勢を生む原動力になったに違いない。

村山の将棋への純粋さ、一途さ、内側にあるものを後進の弟子たちに伝えることこそが、自分の使命であるとの悟りが今日の森の礎になっている。

 

奨励会には年齢制限という満21歳までに初段、満26歳までに四段にならなければ強制退会となる仕組みがあるために森の弟子の全てがプロ棋士になれる訳ではない。

原則一年4名しかなれない狭き門である。

従って、森の師匠として仕事の多くは、無事プロ棋士になった者に対するものではなく、それを目指し修行に励むプロの卵である奨励会員や、プロになれず奨励会を退会した者に向けられる。

森が奨励会を戦う弟子に厳しく言うことがある。

「他の連中とつるむな、群れるな」

それは、10代から20歳前後の遊び盛りの若者が集う奨励会の緩い雰囲気に浸り切ることから来る自己慰撫を戒め、基本一人で戦い抜く姿勢を徹底させるためのもの。

その覚悟を促すために、依存心が強く、甘えが強いと見た者には、一人旅や一人暮らしを勧めてみたりもする。

他にも一見将棋とは全く関係が無いようなユニークなアドバイスを受けた弟子もいる。

「コーヒーはブラックで飲みなさい」

どうやら砂糖もミルクも『甘さに繋がる』ということらしい。

 

森がもう一つ心を砕くのは、志成らず奨励会退会を余儀なくされた挫折者に対するケアである。

森は言う「僕はプロになった子より途中でやめた子の方が気になる。やめた子の方に大きな責任を感じる。曲がった道に進まないか、3年は目を離さないようにしている。だから毎年必ず自宅に呼ぶ。将棋に出会って不幸になって欲しくない」と。

 

森が一貫しているのは、他人に対してどこまでも真剣であること。

「何で初段になったんや!」

必死の思いで勉強して、19歳で初段に昇段した弟子に森が放った意外な言葉の意味とは。

どうせやめるなら、まだ若くて取り返しのつくうちにやめればいいものを勝ってしまってはまだ続くではないか………。

 

一門の中で破門されかけた者もいる。

それは、阪神・淡路大震災当日、まえがきで紹介した震災で亡くなった弟子の元に安否確認に向かった時に起こる。

すでにアパートは倒壊し、周囲一帯に非常警報が鳴り響く中、この弟子が公衆電話から将棋連盟に奨励会の対局について問い合わせたのが、森の逆鱗に触れた。

「今こんな時にそんな心配をするとは何事だ。いくら将棋が強くても人として意味がない。俺はもうお前の面倒は見られないから、他の師匠でも探せ」

この弟子は「それだけ人に怒れるということは、他人に対して熱を込められるということ」だと指摘する。

 

ではこの情熱がどこから来ているかというと、幼少期の経済的に恵まれない家庭環境から始まり、いろいろな仕事に行き詰まり、やっとたどり着いた棋士という仕事の有り難みや嬉しさが、同じ道を志す若者の指導に向かわせる。

時には場当たり的なアドバイスであっても、その情熱が弟子に伝わる。

「コーヒーはブラックで飲め」と言われた弟子が、それ以後呆れながらもいまだにこれを守り続けているのはその現れだろう。

 

弟子たちは口を揃えて言う。

「師匠の弟子でなかったら今の自分は全然変わっていたんだろうなと思う」と。

 

森の弟子にかける情熱には打算、功名心に由来するものは一切ない。

故に、嘘がない。嘘がないから弟子は素直についていける。

これは、将棋の師弟関係にとどまらない普遍的真理であろう。

これを我々を取り巻く人間関係に還元して考察した時、いかに貴重なものであるか理解できるであろう。

 

本書は、全ての教育関係者、子育てや部下の人心掌握に悩みを持つ多くの方たちに是非、読んでもらいたい、“冴えん師匠”の優れた人材育成論である。

 

最後に私事を書けば、当院と森先生の出会いは十数年前、将棋好きの弟が指導を仰いだことをきっかけに始まり、現在も家族ぐるみでお付き合いを頂いている。

森一門では毎年5月の連休中に弟子たちの一年間の成績の振り返りと、ファンとの交流を目的に「一門会」が開催されるのだが、当院も決まって参加している。

この日は、当院にとっても我が身の一年の来し方を振り返る良い節目になっており、今年のようなコロナ禍での中止は残念の極みであった。

こんな当院にとっても本書の読書体験は、概知のもの以上に多くの未知に触れることができた刺激に満ちたものであった。

森先生以下一門の皆様の益々のご活躍、ご繁栄を祈念申し上げて筆を置く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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