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2020年04月08日

「多重身体」で生きる

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こんにちは、兵庫県伊丹市の西田鍼灸療院です。伊丹市内を中心に尼崎市・豊中市をはじめとする阪神・北摂地区の患者様のお身体の悩みを「根本改善」に導く「根本治療」の鍼灸を提供しております。

今回取り上げる本は、『記憶する身体』伊藤亜沙(春秋社)。

この世には生まれつき、あるいは人生の途中の病や事故により障害者として生きることを余儀された者が多数存在する。

わけても中途障害者の特徴は、今生きている障害のある身体と、かつて健常であった時の「記憶」に刻まれた身体という二つの身体を持っていることである。

本書は、そんな「多重人格」ならぬ「多重身体」を生きる12人、11のケースを通して人体の不思議に迫った出色のインタビュー・ルポである。

著者は、「多重身体」を記憶が生み出すハイブリッドな身体と言う。

「多重身体」は、一つの物理的な身体の上に、健常者の身体と障害者の身体が重なり、固有のパターンを作り出す。

それは、身体の内部に差異を持つことを意味する。

一般に差異と言えば、AさんとBさんの違いが問題となるが、ここではAさんという一人の身体の中に、身体A1と身体B2が共存し、そこに差異が生まれる。

そこからどのような固有のパターンが作り出されるか、それは障害を得て年齢やタイミング、それまでしていた職業、趣味などによって異なる。

例えば、二分脊椎による下肢障害障害者の場合、上半身は健常者と同じ様に動かすことが出来るが、下半身は感覚が無く、動かすことが出来ない。正に、上と下で全くタイプの異なる二つの身体を生きている。

このようなタイプは先天的なので、記憶には関係ないのではないかと思うかもしれないが、実際にはそうではない。

この場合、上半身の経験の記憶が、下半身に染み出すというようなことが起こる。

それは痛みの経験で、この方の足は生理的には痛みを感じるはずがないのであるが、血が出ているのを見ると、痛いような気がすると言う。

これは、上半身で感じた痛みの感覚が、足に起こった出来事を理解するために援用されているのである。

あるいは、生まれつき見えなかったり聞こえなかったりするけれど、読書が好きで、本を通じて健常者の見え方や感じ方を身につけた者もいる。

このような人は、生理的には障害を持っているとしても、文化的なレベルで健常者の身体を獲得した者である。

もっとも、必ずしも健常者の感覚をそのまま受け入れているわけではなく、違和感を感じながら共存させている者もいる。

記憶は、その持ち主が生きていく上で不可欠な道具や土台となることもあれば、執拗に居ついて本人を苦しめ混乱させる要因になることもある。

あるいは、役には立たないけれど害悪をもたらすほどでもない、微笑ましいノイズとして並走することもあるかもしれない。

その位置付けが時間の経過と共に変化し、最初は微笑ましいノイズであったものが、いつしか不可欠な要素になることもある。はたまた、ないはずの記憶が作り出されることもある。

記憶は様々に位置付けられるが、どの場合においても共通しているのは、本人と共にありながら、本人の意志を超えて作用することである。

つまり障害者が生きる「多重身体」とは、記憶と「共にありながら共にない」身体のことで、それが作り出されるプロセスに人体の深遠さがある。

この人体の深遠さこそ、鍼灸の有効性を担保するものに違いない。

例えば、本書にも登場する幻肢痛(=無いはずの手足の痛み)に鍼灸が有効であることが挙げられる。

幻肢痛のある部位と関連のある経穴(ツボ)に施術を行うことより、その痛みが消失するという不思議!

これからも当院は人体の深遠に迫る鍼灸の更なる可能性の探究を通して、真の人間理解に基づいた「根本改善」に導く「根本治療」を実現していきたいと思う。






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